浅田次郎 壬生義士伝を読んだ

38年の人生の中で、
「外国人に『What exactly is Samurai?』を説明する」
という経験が今のところ3回ありました。1回目は全然上手く説明出来なかったので、反省して、「今後同じ質問されたらこう答えよう」という模範解答を用意しておくようにしました。

でも質問はTPOとか雰囲気とかによって様々な含みを持っていたりして、
“Super cool Japanese medieval warriors!!”
みたいな答えが求められている感じならそう言っておけばよいと思いましたし、単に知識として知りたいとしたらwikipediaに書いてあるような事を答えれば良いと思いました。

でも、割とマジな質問、ニュアンス的には
「いや、日本人のお前自身として、サムライという概念をどう考えんだ」
みたいな感じの問いかけが入ってくる場合は、こっちも日本人代表として下手な答え方は出来ないなと思って、肩に力が入ったりします。これは”Samurai”に限らず、”bushido”とか”seppuku!”とかそうゆう単語からも発生します。

で、僕個人としては、
「バシッと回答するのって、無理じゃね?」
という結論に一旦収めてしまいました。志低し。

だって例えば、21世紀に生きる僕ら、「命が一番大事」って教えられるじゃないですか。で、そこには何の異論の余地もないって事になってるじゃないですか。あと「民主主義は正義」っていう感覚も、生まれてからずーっと真だという事になっているので、この歳になってその辺の意識改革を迫られたとしても、「いやたぶん無理・・・」ってなっちゃうじゃないすか。なっちゃいますよね?

そんで↑みたいな根っこの部分の社会哲学とか生活環境が、たった200年前はまったく違ってた訳ですよ。凶作だと人がめっさ死ぬとか、仇討ちは誉とか、妾は程々ならOKとか、現代っ子の僕らにしてみれば、サムライの時代は割とクレイジーワールドな訳ですよ。なので日本人にとってもそれ以外の人にとっても、もはやサムライスピリッツをネイティブに説明できる人なんていないと思うんですよね。

でもでも、僕らがなぜ歴史小説を読むかって、その辺の事が知りたいからなんですよね。タイムマシンがないから、史料を元に想像するしかなくて、それが楽しかったりするんですけど、僕ら自身が内包する質問
“What exactly is Japanese?”
“Who are we?”
の答えを知りたいからなんですよね。その問い掛けの答えの表面にちょこっと触れられたような気がした小説でした。壬生義士伝、オススメです。